NHKで平成25年(2013)10月23日放送の、歴史秘話ヒストリア「宮廷料理の舞台裏にようこそ〜天皇の料理番 秋山徳蔵〜」は、大変よい番組でした。やはり、秋山徳蔵は人間的にもすばらしい人だったのですね。
実は私が小学生の頃、テレビドラマで「天皇の料理番」という番組があって、これをみて感動し、中学生の初めの頃まで調理師になりたいと思っていた程です。堺正章主演で、毎週放送されていて、欠かさず見ていましたので、秋山徳像の事は割と知っていました。
しかし、歴史秘話ヒストリアで放送された事までは覚えておらず、太平洋戦争直後の苦労を改めて知りました。天皇の料理を取り仕切る最高責任者であるからこその人格なのかもしれませんが、そういう人だから必要とされたのでしょう。本当にすばらしいと思いました。
※再放送などもあるようですので、見逃した方は是非ご覧下さい。番組サイトはこちら。
今も料理界では手本とされているとの事。亡くなった後も、その功績は絶大な影響力を持っています。自分だけの事では無く、大きな世界観を持ち、責任を持ち、天皇のために、また、国を想い、料理を通して支え続けた人物だったそうです。
広い世界観、社会性を持たなければ良い仕事はできないと、改めて思いました。秋山徳蔵の偉業は、どんな仕事にも通じる素晴らしい手本だと思いました。
それから、内輪事ですが、毎日料理を作ってくれた母、また、今作ってくれる妻、感謝しなければいけない事も改めて思いました。何でも当たり前では無いのですね。
追伸:奇しくも、阪急阪神ホテルズの提供食品の偽装問題が表面化した直後の放送となりました。本当に恥ずかしい、生き様です。最近、こういう事件が多いですね。特に大阪は。一時的に儲ける事に全力を尽くす社会になってしまったのでしょうか?
2013年10月25日金曜日
2013年8月26日月曜日
AMラジオの情報力
事務所で作業をする時は、ラジオをつける事も多くあります。FMではなくて、AM派です。色々と情報を仕入れるにもラジオは結構有効です。
学校が夏休みになれば、NHKラジオで子ども科学電話相談室がはじまります。この企画、もう30年も続いているそうです。
しかしこの番組、子ども向けとはいえ、大人にも大変参考になる質問が多いです。様々な質問から、色々な事を感じさせられます。人間の可能性とか、素直さとか、大人になると失ってしまったような事もなんだか見えるような気がします。
子ども達は、夏休みの自由研究のために、この番組を利用しているようですが、表情は解らないものの、自分の疑問が解けた時には声色が変わります。
当然、生まれて間もないのですから子どもの中にある世界は小さいです。学校に行って勉強する過程で、解らない事も沢山あります。
番組を通じて思う事は、疑問に思う衝動というか、解らない事を知りたいと思う自然な欲求が、科学の根源である事もまた、子ども達を通じて見えてきます。
大人になると、その立場や状況によって、状況を素直に受け取れない、もしくは受け取らない事も増えてきます。また、興味のある事とそうでない事を使い分けていきます。それがしばしば不必要に、状況を拗れさせる事も起きます。
「学ぶ事で、見えないものが見えるようになる」のは真理だと思います。
大人になっても、そういう真理を見失わず、モノゴトそれぞれの摂理に正直で居られるようにしなければいけませんね。その事が、社会の役に立つ、良いシゴトに繋がると信じて、日々研鑽しなければいけないと、純粋な子ども達を見て、考えさせられました。
学校が夏休みになれば、NHKラジオで子ども科学電話相談室がはじまります。この企画、もう30年も続いているそうです。
しかしこの番組、子ども向けとはいえ、大人にも大変参考になる質問が多いです。様々な質問から、色々な事を感じさせられます。人間の可能性とか、素直さとか、大人になると失ってしまったような事もなんだか見えるような気がします。
子ども達は、夏休みの自由研究のために、この番組を利用しているようですが、表情は解らないものの、自分の疑問が解けた時には声色が変わります。
当然、生まれて間もないのですから子どもの中にある世界は小さいです。学校に行って勉強する過程で、解らない事も沢山あります。
番組を通じて思う事は、疑問に思う衝動というか、解らない事を知りたいと思う自然な欲求が、科学の根源である事もまた、子ども達を通じて見えてきます。
大人になると、その立場や状況によって、状況を素直に受け取れない、もしくは受け取らない事も増えてきます。また、興味のある事とそうでない事を使い分けていきます。それがしばしば不必要に、状況を拗れさせる事も起きます。
「学ぶ事で、見えないものが見えるようになる」のは真理だと思います。
大人になっても、そういう真理を見失わず、モノゴトそれぞれの摂理に正直で居られるようにしなければいけませんね。その事が、社会の役に立つ、良いシゴトに繋がると信じて、日々研鑽しなければいけないと、純粋な子ども達を見て、考えさせられました。
2013年7月9日火曜日
全ての仕事はクリエイティブ!クリエイティブはすばらしい!
全てに言える事ですが、誠心誠意努力した仕事は、すばらしい結果につながります。人を幸せにし、社会を豊かにするのだ思います。
色々な条件があるなかで、出来る限り創意工夫を尽くすという事は、社会人であるかぎり、全ての人が毎日繰り返している事なんだろうと思います。
クリエイティブという言葉は、何もデザインや芸術分野の独占特許ではありません。全ての仕事に必要な要素です。
そんな中で、すばらしい映像を見つけました。自動車メーカーホンダのイメージ映像広告なのですが、大変素晴らしい作品に仕上がっています。アイデアがよく練られ、映像加工技術、メッセージが見事に調和しています。
映像を見て感動しました。素晴らしい作品だと思いました。
色々な条件があるなかで、出来る限り創意工夫を尽くすという事は、社会人であるかぎり、全ての人が毎日繰り返している事なんだろうと思います。
クリエイティブという言葉は、何もデザインや芸術分野の独占特許ではありません。全ての仕事に必要な要素です。
そんな中で、すばらしい映像を見つけました。自動車メーカーホンダのイメージ映像広告なのですが、大変素晴らしい作品に仕上がっています。アイデアがよく練られ、映像加工技術、メッセージが見事に調和しています。
映像を見て感動しました。素晴らしい作品だと思いました。
Honda "Hands"
2012年11月2日金曜日
旧本庄村浄福寺縁日の夜店(ほんこさん)
毎年11月1〜3日は、旧本庄村の浄福寺(現東大阪市本庄)縁日に露店が賑わいます。旧街道を一部通行止めにして、盛大に行われます。地元では「ほんこさん」と呼ばれています。
※「ほんこさん」とは「報恩講」の訛というか、愛称のようなもので、全国に割と「ほんこさん」はある(形態は違いますけど)ようです。
ひと昔前まで、夏祭や秋祭では夜店が必ず出ていましたが、今では珍しい風景ともなりました。子どもの頃、生まれ育った地域の神社の祭りをいつも楽しみにしていました。祭りの時は、地域の子どもも大人もこぞって夜店に出かけます。
お祭りの日は、いつもと違う夕食のメニューでしたし、特別にお小遣いを貰えたりして、縁日を大変楽しみにしていたものです。まあ、時代的な流れもあったりするのですが...。
さて、そんな夜店が今も東大阪市本庄では賑やかに出ています。しかも珍しく、お寺の縁日に因んでのようです。なぜ、お寺がこのように夜店も出して盛大に縁日を一般開放するのか、詳しくは解らないのですが、また、地元の人に聞いてみたいと思います。
『大阪府の地名2-日本歴史地名大系28-』(平凡社刊)によると、浄福寺は、旧河内国若江郡に属し、 浄土真宗本願寺派天王山を号するお寺との事で、随分と古い由緒のようです。
私はもう子どもではなくなりましたが、毎年、この縁日の夜店を楽しみにしています。いつまでも続きますように...。みんな楽しそうにしています。ありがとうございます。
※「ほんこさん」とは「報恩講」の訛というか、愛称のようなもので、全国に割と「ほんこさん」はある(形態は違いますけど)ようです。
ひと昔前まで、夏祭や秋祭では夜店が必ず出ていましたが、今では珍しい風景ともなりました。子どもの頃、生まれ育った地域の神社の祭りをいつも楽しみにしていました。祭りの時は、地域の子どもも大人もこぞって夜店に出かけます。
お祭りの日は、いつもと違う夕食のメニューでしたし、特別にお小遣いを貰えたりして、縁日を大変楽しみにしていたものです。まあ、時代的な流れもあったりするのですが...。
さて、そんな夜店が今も東大阪市本庄では賑やかに出ています。しかも珍しく、お寺の縁日に因んでのようです。なぜ、お寺がこのように夜店も出して盛大に縁日を一般開放するのか、詳しくは解らないのですが、また、地元の人に聞いてみたいと思います。
『大阪府の地名2-日本歴史地名大系28-』(平凡社刊)によると、浄福寺は、旧河内国若江郡に属し、 浄土真宗本願寺派天王山を号するお寺との事で、随分と古い由緒のようです。
私はもう子どもではなくなりましたが、毎年、この縁日の夜店を楽しみにしています。いつまでも続きますように...。みんな楽しそうにしています。ありがとうございます。
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| 色々な露店が並びます |
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| 美味しそうな焼きそば |
※今年も夜店はスゴイ人出でした。写真は平成20年(2009)の様子です。
2012年10月31日水曜日
ノーベル賞を受賞した山中教授は東大阪市出身でした!
今更ながらですけど、iPS細胞の開発でノーベル賞を受賞した山中教授は、東大阪の出身だったのですね。私も今、東大阪市民ですので、急に親近感がわいてきました。
それから、東大阪って過去にもノーベル物理学賞で江崎玲於奈さんや白色有機ELを開発した城戸淳二さんも東大阪出身だとか。司馬遼太郎さんも東大阪市民でしたよね。
まあ、東大阪市は50万人程の人口と地域も広いですから、こういった偉人を輩出する確立は高くなるのかもしれませんが、逆に悪い例も同じくらいの確立かもしれません。
それにしても、どんな分野でもコツコツと研究し、社会のために役立つ、仕事を通して社会貢献するといった事を考える人は大変尊い事だと思います。
多くの場合、研究者は多くを語らず、人知れず続けています。誰にも理解されない事かもしれませんが、一つの研究を続ける事は大変な事です。一人の研究者を支える理解者もまた、大変な功労者です。そういった環境があってこそ、研究が続けられるのです。
当然、実を結ばない間は、お金の問題も大変な問題です。これが一番大変かもしれません。
コツコツと研究を続ける人は、今もたくさんおられます。自分がその中心にならなくても、せめて理解できる人間になりたいと思いますね。
◎ホームページ制作の池田屋公式サイト
それから、東大阪って過去にもノーベル物理学賞で江崎玲於奈さんや白色有機ELを開発した城戸淳二さんも東大阪出身だとか。司馬遼太郎さんも東大阪市民でしたよね。
まあ、東大阪市は50万人程の人口と地域も広いですから、こういった偉人を輩出する確立は高くなるのかもしれませんが、逆に悪い例も同じくらいの確立かもしれません。
それにしても、どんな分野でもコツコツと研究し、社会のために役立つ、仕事を通して社会貢献するといった事を考える人は大変尊い事だと思います。
多くの場合、研究者は多くを語らず、人知れず続けています。誰にも理解されない事かもしれませんが、一つの研究を続ける事は大変な事です。一人の研究者を支える理解者もまた、大変な功労者です。そういった環境があってこそ、研究が続けられるのです。
当然、実を結ばない間は、お金の問題も大変な問題です。これが一番大変かもしれません。
コツコツと研究を続ける人は、今もたくさんおられます。自分がその中心にならなくても、せめて理解できる人間になりたいと思いますね。
◎ホームページ制作の池田屋公式サイト
2012年6月13日水曜日
平田靭負という偉人
平田靭負(ひらた ゆきえ)という人をご存知ですか?
ちょっとホームページやインターネットの事とは離れた話題ですが、大変立派な人物ですので、ちょっとブログの趣向を変えてご紹介したいと思います。三重県桑名市を訪ねた折、平田靭負を知りました。
ちなみに靭負とは「衛門府」の和訓です。また、同じ衛門府の督の唐名が金吾であったりしますが、江戸時代も下って来ると、本居宣長を代表するように日本独自の習慣を重んじるようになって行き、官位も和名を用いたりする事が多くなっていったようです。
平田氏は薩摩藩士で、長良・木曽・揖斐川の治水工事の責任者として赴任しました。ご存知の通り、木曽三川は今でこそ治水が行き届き、穏やかに流れていますが、かつては氾濫を繰り返して人々の生活を脅かす川でした。
これについて幕府が対策を行なう事となり、この普請を薩摩藩に命じました。
近畿の大和川もそうですが、こういった大規模公共工事は幕府が設計と監督を行ない、費用や人夫など諸要素は命じられた藩等が負担します。
美濃・伊勢・尾張国境の河川改修を1200キロメートルも離れた薩摩藩に命じました。薩摩藩は、幕命を受け947名の藩士を派遣して、懸命に役を果たそうとしました。
宝暦2年(1753)12月、幕府から薩摩藩へ下命があってから、同5年(1755)6月に島津藩主島津重年が幕府へ普請完成を届け出るまでの約3年間、平田靭負はその総責任者として、この工事に心血を注ぎました。
しかし、この間、設計の変更や事故など、結果的に工事費も40万両に膨れ上がり、薩摩藩の財政にも大きな負担となってしまいました。40万両は1両10万円でザックリ計算すると、400億円です。
重機を使う現在でも大変な工事を江戸時代に行なうのですから、しかも、4カ所の工事ですから想像を絶します。
平田靭負の部下も難工事の失敗などで、責任を取って切腹などしてしまいます。そんな事で、この工事では、51名の切腹、33名の病死者、他に幕府方でも2名の切腹、人柱1名の犠牲を出します。
しかも外聞を憚った習慣から切腹も「病死」とされる事も一般的だったようです。
平田靭負は、薩摩藩主が幕府に工事完成を届ける直前の5月25日、故郷薩摩のある方角に向かって切腹し、総責任者として部下を追いかけました。
この様な偉人に対し、地元薩摩の人々はもちろん、工事当地の人々、幕府の要人、また、後世の人々にまで尊ばれ、現在に受け継がれています。
しかし、私は桑名を訪ねるまで、この事を全く知りませんでした。このような立派な人物は、桑名のみならず多くの人々の宝だと思います。
桑名を訪ねる事があれば、是非平田靭負が奉られている法性山海蔵寺など遺跡を訪ねてみてください。また、桑名市外にも海津市など色々とありますので、ご興味のある方は調べてみて下さい。小説等もあるようです。
◎海蔵寺公式サイト
◎平田靭負について(海津市サイト内より)
ちょっとホームページやインターネットの事とは離れた話題ですが、大変立派な人物ですので、ちょっとブログの趣向を変えてご紹介したいと思います。三重県桑名市を訪ねた折、平田靭負を知りました。
ちなみに靭負とは「衛門府」の和訓です。また、同じ衛門府の督の唐名が金吾であったりしますが、江戸時代も下って来ると、本居宣長を代表するように日本独自の習慣を重んじるようになって行き、官位も和名を用いたりする事が多くなっていったようです。
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| 海蔵寺の平田靭負他薩摩藩士墓所 |
これについて幕府が対策を行なう事となり、この普請を薩摩藩に命じました。
近畿の大和川もそうですが、こういった大規模公共工事は幕府が設計と監督を行ない、費用や人夫など諸要素は命じられた藩等が負担します。
美濃・伊勢・尾張国境の河川改修を1200キロメートルも離れた薩摩藩に命じました。薩摩藩は、幕命を受け947名の藩士を派遣して、懸命に役を果たそうとしました。
宝暦2年(1753)12月、幕府から薩摩藩へ下命があってから、同5年(1755)6月に島津藩主島津重年が幕府へ普請完成を届け出るまでの約3年間、平田靭負はその総責任者として、この工事に心血を注ぎました。
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| 今もある油島千本松締切堤 |
重機を使う現在でも大変な工事を江戸時代に行なうのですから、しかも、4カ所の工事ですから想像を絶します。
平田靭負の部下も難工事の失敗などで、責任を取って切腹などしてしまいます。そんな事で、この工事では、51名の切腹、33名の病死者、他に幕府方でも2名の切腹、人柱1名の犠牲を出します。
しかも外聞を憚った習慣から切腹も「病死」とされる事も一般的だったようです。
平田靭負は、薩摩藩主が幕府に工事完成を届ける直前の5月25日、故郷薩摩のある方角に向かって切腹し、総責任者として部下を追いかけました。
この様な偉人に対し、地元薩摩の人々はもちろん、工事当地の人々、幕府の要人、また、後世の人々にまで尊ばれ、現在に受け継がれています。
しかし、私は桑名を訪ねるまで、この事を全く知りませんでした。このような立派な人物は、桑名のみならず多くの人々の宝だと思います。
桑名を訪ねる事があれば、是非平田靭負が奉られている法性山海蔵寺など遺跡を訪ねてみてください。また、桑名市外にも海津市など色々とありますので、ご興味のある方は調べてみて下さい。小説等もあるようです。
◎海蔵寺公式サイト
◎平田靭負について(海津市サイト内より)
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