2015年6月3日水曜日

東大阪市に残る戦争遺跡「盾津飛行場跡」について

今年は、日本の敗戰70周年という事もあり、東大阪市に残る戦争遺跡のご紹介をします。ネットで調べると、すぐに上がってくるのですが、今の東大阪市にあるトラックターミナルと機械団地は、盾津飛行場の跡地です。
 正式名称は大阪陸軍飛行場 で、大阪の防空と民間のパイロット養成の為に昭和9年(1934)に完成しました。大阪には他にも、伊丹、八尾、泉佐野にあり、それに今の靱公園も飛行場でした。

さて、盾津飛行場は、戦争末期には北東に有った松下航空機(ちょっと前にあった住道のサンヨーの工場)で製作された飛行機を運び、飛行場の格納庫で最終組み立てを行っていたようです。機体は明星という木製の爆撃機で、製作機数は7機だったようです。
また、ここで訓練を受けたパイロットの中には、航空特攻で、沖縄など南方で散華した方々も少なからずおられたとの事で、慰霊塔も建っています。

この盾津飛行場についての説明板と慰霊塔は、今の盾津中学校の正門付近にあります。お近くにお越しの時は、訪ねてみて下さい。

参考サイト:
「歴史と街かと」サイトの「鴻池、加納、吉原、中新開地域」ページ
大日本者神國也「大阪陸軍飛行場」
yamashirodayori「松下飛行機と盾津飛行場」
どーなってる東大阪「語り継ぐ戦争体験」


盾津飛行場の航空写真(説明板の写真より)

盾津中学校にある説明板

慰霊碑